ボケナスのクソミソ炒め

上手くいかない事だらけの、しょっぱくて、ブレブレで、グチャグチャになってしまった人生の中で、溜まっていく心の排泄物を出す為の最低かつ神聖な場所

聖地は決して向こうから来てくれない

自分から動かないから、いつもスマホを見て誰かからLINEとかTINDERのメッセージとかインスタのいいねとか来てないかなと、わずかな可能性しかない物を待ち続けて、スマホを見るたびに来てないとイライラするという悪循環に陥っている。

反対に自分の興味のある事をしたり、行きたい所にいけば、それだけで思わぬ色んな物を吸収できたりする。

先日、友人に誘われコロナ禍で1年以上行けてなかったちょっと遠くのロックバーに久々訪れる事が出来た。そこは本当に流れる音楽、内装や照明の雰囲気、マスターの感じまで自分の好み160kmドストライクの場所で、ただそこにいるだけでもリラックスと高揚感を同時に感じる様な気分になれる上に、毎回聴いたことのない最高に刺さる曲に出会いマスターに何の曲だか教えてもらう事が出来るのだ。毎回「今日も本当に来てよかった」と思って帰路に着く。

もう行く時点で勝ち確定というか、プラス確定、最高確定みたいな感覚。よくオタクとか色んな人が自分の趣味の中で「聖地」という言葉を使うが、こういう感覚を表現してるような気がする。

金がない、彼女がいない、マッチングしてメッセージしたのに返ってこない、同年代のやつらの成功や充実してそうな生活に腹が立つ、など考えるといちいち最低な気分になり、自分に自信を持てなくなり自己嫌悪に陥りそうになる事だらけ。だが自分の中で聖地がたくさんあれば、そんな事今より気にならなくなるような気がする。

でも結局セックスする相手がいなくて、風俗しょっちゅう行ける金がない時点で最高にムシャクシャはするのだが…。
そう考えると俺の本当に望む物は「スケベな彼女かセフレか風俗に困らないだけの金」なのかもしれないという、ただのエロ猿みたいな結論にいつも達してしまうのだった。